利尻富士町
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 離島交通の軌跡

 海上輸送

  江戸時代から利尻島には漁場があり、松前藩の船が交易したとあるが、その後は、明治維新により空白となっている。 1669年
(寛文9年)
  明治に入り、利尻にはじめて汽船「栄喜丸」がお目見えした。 1883年
(明治16年)
  当時利尻島にとって汽船は唯一の交通手段ということもあり、汽船の定期航路を実現するため、利尻、礼文の各村で補助金を交付して「恵喜丸」の就航を実現させた。
(小樽-増毛-天売-焼尻-利尻-礼文)
1884年
(明治17年)
  共同運輸会社に補助金を交付して、命令定期航路(毎月2-5回)が就航した。(小樽?増毛航路を宗谷・利尻・礼文に延長)
  その後、三菱・共同運輸会社が合併し日本郵船会社が引き継いだ。
1885年
(明治18年)
  現在の基となっている利尻・礼文・稚内航路は、昭和5-6年にかけて帝国議会に議案提出し可決されていたが実現には至らず、稚内町と利尻・礼文の各村の嘆願等により昭和9年に就航できた。 1934年
(昭和9年)
  この航路は、稚内利礼運輸株式会社(現東日本海フェリー株式会社)に引き継がれ、戦中-戦後を経て、著しい躍進を遂げた。
  国鉄連絡運輸(稚内利礼運輸航路)許可。 1946年
(昭和21年)
  利礼航路初の鋼船「第二佐渡丸」が就航。 1948年
(昭和23年)
  「離島航路整備法」の適用に伴い、鋼船「利尻丸」が就航。 1954年
(昭和29年)
  貨客船「礼文丸」が就航。 1957年
(昭和32年)
  貨客船公団船「利礼丸」が就航。 1960年
(昭和35年)
  貨客船公団船「第三利礼丸」が就航。 1964年
(昭和39年)
  自動車の普及に伴い、稚内-利尻・礼文航路にも初の公団船カーフェリー「第一宗谷丸(530t)が就航。 1970年
(昭和45年)
  公団船カーフェリー「第二宗谷丸(998t)」が就航。 1972年
(昭和47年)
  カーフェリー「第五宗谷丸(790t)」が就航。 1975年
(昭和50年)
  カーフェリー「第七宗谷丸」が就航。 1981年
(昭和56年)
  カーフェリー「第八宗谷丸」が就航。 1982年
(昭和57年)
  カーフェリー「第十宗谷丸(1,554t)」が就航。 1984年
(昭和59年)
  カーフェリー「第十一宗谷丸(2,000t)」が就航。 1986年
(昭和61年)
  カーフェリー「ニュー宗谷(3,200t)」が就航。 1989年
(平成元年)
  カーフェリー「クィーン宗谷(3,200t)」が就航。 1992年
(平成4年)
  カーフェリー「プリンス宗谷(3,200t)」が就航。 1995年
(平成7年)

 航空輸送

  北日本航空株式会社が稚内?利尻間にエアタクシーを運行する目的で、調査等を行った。 1955年
(昭和30年)
  その後、不定期便のエアタクシーの運行を始めたが、滑走路が未整備だったので、危険性を伴う事から中止された。 1960年
(昭和35年)
  島にも空路が開けることに期待を抱き、利尻空港の整備を行った
(滑走路、600m)その年の12月には、空港ターミナルが竣工。
1962年
(昭和37年)
  北日本空港株式会社のセスナ195型(4人乗)により稚内?利尻島間不定期便が就航。 1962年
(昭和37年)
  横浜航空株式会社のセスナ機(5人乗)により稚内?利尻島間不定期便が就航。 1934年
(昭和9年)
  利尻空港の拡張(滑走路800m)と無線保安施設の整備。 1965年
(昭和40年)
  日本近距離航空株式会社(現エアー北海道・ADK)のツインオッター機(19人乗)により札幌-稚内-利尻定期便就航。 1974年
(昭和49年)
  稚内地方気象台利尻空港出張所庁舎完成。 1974年
(昭和49年)
  その後、利尻空港は各施設を充実し、更には新ターミナルビルの完成に至った。 1974年
(昭和49年)
  利尻空港の拡張。(滑走路1,800m) 1984年
(昭和59年)
  新ターミナルビルの完成。 1998年
(平成10年)
  ジェット機(126人乗)により札幌(千歳)-利尻直行便の就航。(6月から8月)
1999年
(平成11年)

 陸上輸送

  当町では乗合自動車(バス)事業を鬼脇で始めたのが、最初の自動車。 1927年
(昭和2年)
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